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さよなら平成。これからの大学キャリア教育が向かう先は?〜大学と企業の役割を考える〜

2011年4月、大学設置基準の改正により「社会的・職業的自立に関する指導等」、いわゆる“キャリア教育”の大学での実施が義務化されて以来、現在では多くの大学でキャリア教育系の科目が設置されるようになりました。

一時期は、そのキャリア教育が就活支援のようになってしまっているものも伺えましたが、時代の変化に伴って生き方も多様になってきた中で、キャリア教育について再考される機会が増えてきました。

本日は、法政大学キャリアデザイン学部にて、キャリア教育について研究されている児美川先生と一緒に、本質的なキャリア教育について考えていきます。

法政大学 キャリアデザイン学部 教授 児美川孝一郎先生
専攻は教育学(青年期教育、キャリア教育)
著書 『キャリア教育のウソ』『まず教育論から変えよう』『夢があふれる社会に希望はあるか』等

本来のキャリア教育とは?

―「キャリア教育=就活支援」という誤解も解けつつあると思いますが、児美川先生の考えるキャリア教育を教えてください。

基本的には、子どもたちや若者たちが社会に出ていく準備をしていくことだと思っています。学校にいる子たちにとって社会に出るということは、学ぶ段階から働く段階への移行なので、当然“働くこと”への準備は必要ですけど、働くって「働く」単体で成り立っているわけではないですよね。

働きながらどう生活しているか、どうやって地域住民としての役割を担っているかなども入ってきます。

だから、本来のキャリア教育というのは、「働く」を軸にしながら、より良い働き方をつくり出すためのライフキャリア全体に対して、きちんとした準備をする意識付けと、必要な力や能力をつけることだと思っています。

キャリア教育=就活支援というのは言うまでもなく狭すぎて・・・人生100年時代で80歳位まで働くとしたときに、そこに向けた準備だとすると、就活の支援じゃ狭い。

じゃあ、「働くことの準備」で良いかというとちょっと惜しくて、「働く」を軸にしたときのライフ全体、周辺のことも含めて僕は考えています。

―ありがとうございます。キャリア教育のお話の際に児美川先生はよく「役割」「社会軸」というキーワードをおっしゃっていますが、これはどのような考えが基になっているのでしょうか?

学生ってキャリアのことを考えるときに、個人的な観点「個人軸」で考えてしまうことが多いんですよ。これは、大人から「やりたいことは何?」ってよく聞かれる影響もあると思うんですけど。
でも、そもそも一人で幸せになるのは無理な訳で、社会の側の軸「社会軸」が必要になってくる。ただ、学生は「社会軸」を持っていることが少ないから、持たせてあげることが必要なんです。

そのための一歩は、まずは「自分がここまで来れたのは誰のおかげ?」というのを、ちゃんと考えてもらうことだと思います。

「独力でやってきて、一人で成長したわけではないよね」と促すとともに、「実はあなたも誰かの役に立ってきている」ということを振り返ってもらうと、社会において自分はどんな役割を果たすのか、という観点を持てるようになるはずなんです。

何も新しいチャレンジ沢山させる必要はなくて、「役に立っている」ということに気付いてもらうことが大切だと思います。

あと、大学生に対して「あなたは何をやりたいの?」と“自分のやりたいこと”で聞くと、ない子がいっぱいいるわけですよ。だけど、「どういう役割だったら社会の役に立てそう?」「人の役に立てそう?」と考えを促した方が、結構本人は楽になるみたいです。

―たしかに、“やりたいこと”で聞かれると、学生は思考停止しますよね。

そうなんですよ。構えちゃうからね。でも「役割」というのは、自分の強みでもあるから、そこを生かしていけばいいんです。こう考えると、「個人軸」と「社会軸」はわかれているものじゃなくて、実は関連していますよね。

“自分の役割を果たせること”って、実は個人軸では“得意なこと”や“強み”であって、いずれはそれにやりがいを持てることだったりするじゃないですか。だからやっぱりつながりはあるなぁと思います。

キャリア教育において、大学と企業それぞれは担うべきこととは?

―社会そうがかりでとりくむ(学校ー企業ー家庭ー地域)といったことを掲げていますが、大学と企業それぞれが担うべきこととは何でしょう?

学校ー企業ー家庭ー地域、それぞれの持ち味があるはずだから、まずはこれを自覚することだと思います。

例えば家庭は、体系的・系統的に取りくむ必要は全くなくて、日常に溶け込んだ形で十分。

では、大学の強みは何かというと、経験に言葉を与えるというか、廃れた知識ではなくて生きた知識にしていくことだと思います。加えて組織的・系統的にできるのも強みですね。教員やキャリアセンター等の教職員集団がいて、色んな方面からアプローチができたり、1年次〜4年次までを系統的に構成できたり。
こういう強みをしっかり自覚して、やっていくのが大事だと思いますね。

そして企業については、やっぱりリアルを提供することに尽きますよね。
座学では無理なリアルをどう提供するかというところで、一緒に連携していく。大学を出る前に、ちょっとだけプレ体験をやらせてもらうとか、実社会ではこういうことが大事だよというのを突きつけてもらうとか。

こういう役割分担を意識した上で、それぞれが強みとしていることをやるのが一番だと思います。

―それぞれの強みを認識した上で、各々ができる役割を担うことが大切ですね。

社会総掛かりでキャリア教育を推進していく中で、学生たちは、普段の自分の授業と社会との行き来をしていく。

大学の学問も、その専門性に即しながら「今やっていることって、世の中とこのようにつながっていて、その仕組みは実はこうなんだよね」ということを伝え、考えを促すことは必要だと思いますね。

これは、通常の専門の学部教育の外側にキャリア教育の科目を外付けして、そこだけで教えるってことでは絶対ないんですよ。基礎編はキャリア教育の科目でやってもいいと思いますけど、本当に細かいところまで目配りして関連付けを促していくのは、それぞれの専門のところでしかできないので、学部教育において心がけるのが大事だと思います。

1つその業界のことを知って、深さや面白さに気付けば、就活の時には他に業界のことでも自分で調べてみようかなとなると思うんですよね。

特化したキャリア教育だけで終わっちゃうと癖にならないというか習慣化しないので、常に社会とのつながりを考えていけるように、もうちょっと体系的にしていくことが必要だと思いますね。

「キャリア教育」という言葉がなくなるくらい当たり前になるのが理想

―最後に、本質的なキャリア教育を推進するための鍵となることを教えてください。

1つは、「キャリア教育」と構えないことが、実は大事だと思いますよ。本当は、大学生活という日常の中にキャリア教育になりうる要素がいっぱい点では存在していて、気付かないでいる。

ここで大きく構えちゃっているから、そういう点を見逃して、本来のカリキュラムの外側にキャリア教育を作るという発想になってしまっているんです。

本質を言うとしたら、大学は教育機関なんだから、教育の営みの中にキャリア教育の要素が入るはずだし、もし入っていないなら、本体にそれを組み込むという発想が必要だと思います。

この上で、最初に言ったように「キャリア」自体をちゃんと捉える、正しく理解するという、この両方が鍵ですかね。

しっかりした理解に立てば立つほど、外付けのキャリア教育ではできないと思うはず。そうしたときに、既にある要素をどう生かしていくかがポイントだと思いますね。

―「キャリア教育やります!」って宣言すること自体、本質とはずれているのかもしれないですね。

僕の理想・夢は、日本中の教育機関が「キャリア教育」と言わなくなることなんです。「言わなくなる」の意味は、「やらない」じゃなくて「当たり前としてやっているからいちいちキャリア教育って言わなくていいでしょ」っていうことです。

本来はこうあるべきだと思うんですよね。そうじゃないと、教育の課題って常に増え続けてしまう。既に、〇〇教育、××教育っていっぱいあるじゃないですか。

こんなふうに時代の進展とともに、このまま課題を積み重ねていったら、子どもたちのやることが多すぎてパンクしてしまいますよ。環境教育だって情報教育だって、既にあるところに溶け込んでできていたら、それで良いはずですよね。これと一緒です。キャリア教育も。

インタビュー後記

児美川先生が著書でも書かれている「いくつもの役割を担えるようになること」こそがキャリア発達において大切だと仰っている意味を改めて理解することができました。

また「自己分析」「やりたいこと論」に偏りすぎず、社会とのつながりを起点に問いを投げることが大切なのかもしれません。

この領域での実践や研究を振り返りながら、自社の役割や存在意義を改めて見つめ直したいと感じたインタビューでした。ありがとうございました。

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